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二十四の瞳映画村に行ってきました。

昨日の夜は真っ暗で何も見えませんでしたが、とりあえずホテルにチェックイン。ホテルとは言っても、ゴルフ場の宿泊施設なのであまり期待してはいなかったのですが、ところがどっこいなかなか綺麗なお部屋でした。

クラブハウスの大浴場でお風呂に入らせてもらい、夕食は会席料理を頼んでいたのでこれもクラブハウスのレストランでいただきます。とても美味しい刺身をいただきました。ゴルフプレイ代に朝昼夕と3食ついて19千円ですからなかなかのお得プランでした。

さて、ホテルに到着して、窓から外を眺めて月が見えるところまではお話ししましたね。今日はその続きです。

とにかく真っ暗で何も見えなかった夜の景色ですが、朝、夜が明けるとこのとおり。

朝日が昇る景色を見るほど、朝早く目が覚めました。それもそのはず、昨夜は9時過ぎに酔っ払って寝てしまいましたので。

朝食もクラブハウスのレストランでいただきます。歩いていく途中に、昨日は真っ暗だった景色が、ゴルフコースだったことがわかりました。

この写真の左側にある一直線の建物がホテル宿泊棟です。全室東向きで日の出をみることができるというわけ。

朝食もしっかり食べて、すぐにスタート時間になりました。ちなみに当日参加のジェットスキーをいまかいまかと港で到着を待っていたのですが…いえ冗談です。

ゴルフ場には、野生のお猿さんがたくさんいました。遠くの海の景色もとても美しく、遠くに見える小島のそのむこうには姫路の街がうっすらと見えていました。

いやあ、すごいです。瀬戸内海にいるんですよ。なんだか不思議。いつも瀬戸大橋で渡るときに上から見下ろしていた瀬戸内海の島々のひとつに、いま降り立ってゴルフをしているというのがなんとも不思議。

キャンカー旅に出られない禁断症状のおかげで島へ渡る旅になったわけですから、禁断症状もなかなか良いものですなあ。

ゴルフ場で午前中にハーフが終わって、お昼ご飯も食べて、そう言えば午後のスタートは何時からだったか聞いてなかったなあと確認したら、

「あ、食べ終わったら行ってください。何時でも大丈夫だから」

ここは時間の流れも余裕があって良いですなあ。


さて、楽しいゴルフも無事終了、そのあとは急ぎ二十四の瞳の映画村に向かいました。

やはり、ここに行かないわけにはいかないだろうということで、帰りのフェリーまでの時間を使って急いで向かいます。

もう、時間が夕方近く日暮れの足音が聞こえ始めています。急いで見学と参りましょう。

とりあえず、見たいのは分校のセットですね。一直線にそちらへと向かいました。

おお!これは良い!

昔の雰囲気がしっかり残っている気がする。戦争の真っ最中はこんな小学校が日本中にあったのだろうなと感慨深いものがありますねえ。

夕方なのでこの写真のように影が長くなっている感じが、放課後の小学校の校庭で遊んでいるようでなかなか雰囲気が出ています。子どもの頃を思い出しますねえ。

どうやら、中に入れるということなので、早速入ってみました。

学校で学ぶ勉強の内容って、今と昔じゃ違うのでしょうか。中学を卒業していれば働きに出ていた当時と、使いもしない難しい知識を学んだことにする今の高校大学の教育制度と、あまりに違いすぎる気がしました。そんな無意味な高等教育をなんだか奨学金まで借りて卒業しなきゃいけないなんて…良い教育とは思えないんだけどな。

昔ながらの小学校の教室の風景がそこにありました。

この2人でひとつの木の机、懐かしい…。この木の椅子もみんな座布団を敷いて座っていたなあ。

教室の反対側には映画のセットだったということが分かるように撮影機材も置いてありました。さすがにこの機材は白黒フィルムの時代の撮影用だと思うのですが…

そして、隣の部屋には展示がしてあり、そのまた奥の部屋には職員室が。

大石先生が乗っていたという自転車も展示してありました。

この自転車のブレーキの構造も懐かしい…

今ではみんなケーブルだもんねえ。

オープンセットなので、街並みも再現されていました。なかなかの出来栄えです。

基地作りでもこんな感じを目指したかったんだけどな。あまりに古すぎてみすぼらしいからと反対意見が多く断念することに。

この建物の中で白黒時代の映画が上映されていました。

その横に、なにやら銅像を発見。

お、なんだ?これは…まさに二十四の瞳のシーンかな。その題名が、

「せんせ あそぼ」

うーん…

なんだか怖ええよ。

というわけで二十四の瞳映画村でございました。

 

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