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米沢藩(日本縦断〜その53)

今日の目的地は米沢です。米沢といえば伊達政宗が生まれたところですが、そのあと上杉家が転封されてその後は江戸時代まで上杉家の領地として続く山国です。

上杉家を借金まみれにした原因は、新潟から転封された後も家臣を減らさず、さらには藩主の急死で次の藩主が決まっていなかった不始末など、不幸続きでした。

外様大名ですから、目の敵にされたのでしょう。その後、あの有名な吉良上野介の子供が養子となって藩主を継ぐわけですが、これがまた浪費を繰り返す。さらには江戸の大火で江戸屋敷が全焼するなど、借金が雪だるましきに増えていきました。

それを改革し、借金を全て返済したのが上杉鷹山です。

その、過去の習慣に縛られない改革精神というのに深く感銘を受けていて、米沢を訪問するのはもう人生で何度目だったっけ?

5回目だね

以前にもこのブログで触れたことはありますが、今回はこってりとお話したいと思います。


今は米沢市上杉博物館という大きな建物が建てられていまして、駐車スペースもバッチリでした。

25年前は、小さな売店があったぐらいの敷地でしたが、ずいぶんと変わったものです。

それだけ、上杉鷹山、直江兼続、前田慶次と人気者を次々と生み出して、観光客がわんさかやってきたということなんでしょうねえ。

こんなに大きい…

中はジオラマもあってものすごく充実した展示施設になっています。ゆっくり見て回ると1時間以上はかかるかな。米沢藩の歴史を知ることができます。

今回、この博物館に来るのは2回目だったのですが、以前よりもゆっくりと見ることができて、さまざまな発見がありました。よくできてるなあ、という感想です。その内容についてはネタバレになるのでこれ以上は。

とても大きな敷地は、上杉神社のすぐ横にあります。


さて、目的地はもう一つありました。

上杉鷹山が初めて入部したときに通った道、そして改革が成功してから恩師を迎え入れた時の場所「羽黒堂」です。ここから始まってここで終わったといえる場所ですね。

普門院そのものは再建途中だったので中には入れませんでしたが、その時の火鉢が残っているといいます。

まあ、その説明はこの立て看板にお任せするとして。

この最寄駅にも立ち寄ってみます。

関根という駅です。

ここで、改革が本当にできるだろうかと迷った場所、そして、その成功したことを恩師に報告するために出迎えた場所なわけです。

羽黒神社がその場所だと言われています。

そんな歴史を残しながら、ひっそりと今でも残されています。

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