歴史上の合戦で有名なものはいくつかありますが、その中でも羽柴秀吉が中国攻めを行なっていた時のお話は特に有名ですよね。中国地方を攻めている途中に織田信長が暗殺されたという一報を受けて、大軍を京都へと引き返す中国大返しは、何度も何度も歴史ドラマで再現されてきました。
その、中国大返しの直前に秀吉が攻めていた城が、ここ備中高松城です。
もちろん、その歴史上のお話は知っていましたけれど、それが何処にあるのかなんて今まで気にしたこともなく暮らしていまして、それが今じゃあHYMERくんでノープランに出かけられる自由の身となり、鼻歌交じりに高速道路を走っているとこんな表示が。
google mapのストリートビューで確認すると、
「秀吉水攻の城/備中高松城跡」
え?ここなの?
それは、岡山自動車道を北上して中国自動車道へと向かう途中の道です。つい先日も間違って総社インターチェンジでUターンしたばかりの、総社市のあたり。
「うっひゃー!きになる〜どんなところなんだろう??」
というわけで、今年2度目の総社インターです。前回気付いていたらついでに立ち寄ったのに…とまあ、そうは言ってもあの時は、事故に遭遇していたかもしれないわけで。(詳しくは山陽自動車道で玉突き事故に遭遇!あわや…ギリセーフだった汗を参照してね)
行ってみよう。
あっという間に、着きました。総社インターチェンジから、数分です。
ここが、秀吉の中国大返しの舞台だったのね。確かに湿地帯だったんだろうなという平坦な土地でした。公園として復元するので湿地帯のイメージを損ねないよう整備したのでしょうけれど、山間にしては平坦な土地が広がっていました。
この地が、水攻めの地であったことを説明する看板が作られていました。この高さまで水があったんですよ〜という説明ですね。
なーるほど。こりゃ一面が水浸しになるわけだ。8.4mの堤防で囲まれたんじゃあねえ。
そして360度の方角で水攻めの配置図がわかるようなオブジェも設置されていました。
いやー斬新。
こんな形の説明がしてあるなんて、見たことないわ。
この地図を見る限り、けっこうな範囲で水浸しにしたんだなあ。少し公園の奥へと歩いて行くと、蓮の葉が生い茂る池がありまして、
なんとも因縁深い物語が看板に書かれてありました。
もしや蓮の花となって蘇ってきた?
さらに奥の本丸跡へと橋を渡って進んで行くと、
なんとも歴史を感じる古い木が生えていて、その奥にあるのが、この城の主人であった清水宗治の首塚なんだそうな。
昼間じゃなきゃ怖えな。ここ。あはは…
さて、この高松城の最もすごいな、と思ったところはこの絵を見てからの展開で、
なるほど、秀吉はこうやって山の上から見ていたんだな〜と思わしといての、帰りの景色におおっ!とさせるところです。
ちょっと写真ではわかりにくいですが、現地に行くと「あ!見られてる!」という清水宗治の気持ちになれます。わかるかなあ、ここです。
こんな感じで、少し木が切られて陣が張られていそうな場所に、のぼりが立っているのが見えます。ああ、あそこから秀吉がこちらを見ていたんだなあ…と、少し身震いしてしまいました。
あの場所から宗治が切腹するのを見届けて、そのまま京都は山崎へと大軍で引き返して行って、天下人へと出世街道を駆け上って行く秀吉の姿が、あの林の切れ間にあったとは。
歴史ロマンですなあ。