禁断症状クイ〜ズ 第2問

さて今年の大河ドラマは西郷どんですが、とうとう大久保利通とも袂を分かち、鹿児島へと帰っていくことになりましたね。

政府に必要だと言われて東京へと上京を請い願われたにもかかわらず、その実力を発揮し始めるともう要らねえやとばかりに故郷鹿児島へと戻るような羽目になるのです。

そんな風に、旅に出られない禁断症状ストレスを、テレビドラマで暇つぶしするしかないのでありました。

西郷どんの次の事件は西南戦争でありまして、それは徳川慶喜の鳥羽伏見の戦いや真田幸村の大阪冬の陣夏の陣と同じような位置付けなんじゃないかと思っています。どうでしょう?それは皆さんも同じように感じておられるでしょうか…?

では、ここで問題です。

西南戦争、鳥羽伏見の戦い、大阪夏冬の陣について共通している悲しい現実だなあと私たちが感じていることがあります。

さて、それは何でしょうか?

答えをお考えください〜日本不思議発見!

↑西南戦争(勝てるはずのない劣勢の薩摩を中心とする士族が新政府に抵抗する内戦)

↑大坂夏の陣(勝ち目の無い徳川軍との戦いを浪人を集めてまで抵抗した内戦)

↑鳥羽伏見の戦い(錦の御旗に守られた天皇陛下の皇軍に対して賊軍となってしまう幕府軍の内戦)


さて、答えです!(といっても、私たち独自の考えに過ぎませんけどね)

状況的な共通点としては、優秀な人物が、何故か勝ち目のない抵抗をして死に急ぐような行動に出ていることです。西南戦争では西郷隆盛が。大坂夏の陣では真田幸村が。鳥羽・伏見の戦いでは徳川慶喜が…です。(徳川慶喜は死なずに逃げ出すのですが)

彼らはなぜ勝ち目のない戦いをけしかけたのでしょう?

鳥羽伏見の戦いが特別なのは幕府軍が兵の数で優勢だったことです。新政府軍の3倍を超えると言われています。ところが勝てる気がしない賊軍のレッテルを貼られて負けてしまいます。それどころか徳川慶喜が夜に大阪城から逃げ出してしまうというのですから、よっぽど臆病者か別の意図があったかの二者択一でしょう。

私は、これらの内戦の目的は

「リストラ」

だと考えています。

それぞれの戦いの前までに武士はたくさん増えました。大阪の陣では戦国時代に農民ではない武士が増えています。鳥羽伏見の戦いの前には平和な江戸時代に人口が爆発的に増えており、武士は食わねど高楊枝という落首ができるほど貧しくなっていました。さらに文明開花によって兵器が高機能になると兵隊は刀から大砲へと役目を変えていくのです。

つまり、次の太平の時代がやってくると、兵隊(武士)が必要なくなってくるのです。

しかし、武士は言わば公務員です。警察であり軍隊です。公務員はそう簡単には減らせません。しかも血気盛んで不満エネルギーを保ち続けたまま冷静さをなくし始めるとクーデターを起こすやもしれず、放置できない厄介者になるのです。

西郷隆盛、徳川慶喜、真田幸村。この「3人に共通する思想」は、日本のために不要になった武士のリストラをしなければならない…ではなかったのかと、そう思うのです。

大阪夏の陣は浪人が山のように集まって来ました。もちろん使い物にならないような人も集まって来ます。ここで一旗揚げようと意気込む浪人武士がほとんどだったと言います。

西南戦争も同じでした。西郷隆盛を慕って来た優秀な人もいたようですが、それはむしろ西郷の求心力を利用して自分の考えを貫き通そうという計算から来ていると思います。

鳥羽伏見の戦いでの徳川慶喜の行動は極めて不可解です。徳川家に支えてきた武士が、薩摩藩を中心とする新政府軍に対して憎悪していたので、もはや抑えきれていません。「もうこんなバカと一緒にやっていられん。そんなに死にたいなら勝手に死ね」と放置したのが、後世になって江戸に逃げ帰ったと言われたのではないでしょうか。

西郷隆盛、徳川慶喜、真田幸村の3人は、こう考えたんだと思います。

「もはや時代が変わったので武士は不要。武士に町人になれと言っても聞く耳をもたぬ。もはや死のリストラを考えるしかない」

武士のリストラは、プライドが高い分、融通が効かないため武士から町人に転職する人は極めて少ない…つまり彼らの人生観においてはそのような身分の変更は恥であり、それならばいっそ武士として死にたい…そう考えており、ならば彼らの死に場所を探してやらねばならないと考える西郷隆盛、徳川慶喜、真田幸村の行動もなんとなく理解できるのです。

彼らは、その時代に不要になった人たちに、死に場所を作ってあげただけなのではないか、と思います。

そうやって、意地っ張りな士族に地獄への片道切符を用意したのだろうと考えました。


西郷隆盛と真田幸村は死のリストラをした後に、自分でも死を選びます。人事部でリストラ担当した人が、最後に辞めていくのとよく似ていますね。(徳川慶喜は他の2人とはあまりにも背負う家系が重いので、そう簡単には家を潰すことは出来ないので明治時代にどう生き残るか考えていたのか…)

歴史から学ぶことは大きいですね。