ワカメとの話し合いが終わって、マスオは少し安心していた。というのも、今の若者世代が自分たちの未来をしっかりと考えようとしているんだなぁと感じたからである。こうやって世代交代していくのかなとマスオはワカメとの会話を思い出していた。
『自分たちの世代も、親が苦労して作ったこの社会を、しっかりと引き継いでいるのだろうか?』
この国が戦争に負けて食べるものも無い時代に、マスオの父や母がどんな苦労をして生活してきたのか、その祖父や祖母が戦争で命を散らしてきたのかを思うと胸が痛む。そんな昔の人たちの苦労の上に今の自分たちがいることはよくわかっていた。
この今の暮らしは、数百年も続いているわけじゃない。まだほんのつかの間の平和な時なのだ。
マスオも必死で働いてきたという自負はある。けれど、戦地で命をかける戦いをしたわけでもなければ、空腹で食べるものが無いひもじい思いをしたことも無い。生まれた時から義務教育を受けて学校を出て、勉強もさせてもらえた。
お金がないから医者にいけないということもなかった。
もちろん、辛いこともたくさんあったが、そんなことは昔の人の話に比べれば、取るに足らない悩み事でしかない。そう強く思ったのは、マスオは正月にナミヘイと2人で話していた時のことだった。
「ワシは楽しい人生を送らせてもらったよ」
つい先日のことだが、大晦日の夜にナミヘイがそんなことを言い出した。そんな人生終わりみたいな言い方、しないでくださいよお義父さんとマスオは笑って返したが、ナミヘイの述懐はそれでは終わらなかった。そのまま除夜の鐘を聴きながら、夜遅くまで続いた。
「18歳の時に黙って家を出てねえ、東京の親戚の家に遊びに行くと言って。その時はもう実家には帰らないつもりだったんだ」
ナミヘイは兄にウミヘイという長男がいるので実家を継ぐわけでもなく、東京に出て働き都内に家を構えるほどになったわけだが、当時は戦後間もない頃で大変だったはずだ。物資は不足していて、今のようになんでもインターネットで買えるような便利な時代ではなかっただろう。
「まずは、働き口を探さなくてはいけなくてね。とにかく住み込みで働き始めた。社長の奥さんにはよくしてもらったなあ。夕食はいつも食べさせてもらって」
と、昔話をいろいろと聞いた。そして最後は必ずこう話を締めるのだった。
「苦労のない幸せな人生だったなあ」
どう考えてもそうは思えない。実家から身体ひとつで東京に出て住み込みからスタートして家を持ち、立派に3人の子どもを育て上げた苦労は、想像できない苦労だと思うのだが…とマスオは思った。ところが、そんなことはないとナミヘイはいうのだ。
「皆に助けてもらうことが多かったからね」
と、ナミヘイは笑いながら話した。今となっては頑固なお義父さんだが、昔は取引先の社長さんに可愛がられることが多く、お小遣いをもらうこともよくあったそうだ。それで生活費のお金に困ることもなかったという。なんとも昔の良い時代の話ではあるが…
「今もマスオくんにお小遣いをもらって助けられてるんだ。悪いねえ」
「そんなことないですよお義父さん、元気でいて下さいね」
気がつけば、そんなナミヘイも後期高齢者である。
もうすぐ東京オリンピックが開催される。その2020年から2045年へと25年もたてば、マスオがナミヘイの年齢になり、カツオとワカメがマスオの年齢になっているだろう。完全なる世代交代だ。
カツオが結婚して家を継がなくても、タラヲもいるから、磯野家として子孫がなくなることはないが…誰も結婚して子どもを育てなければ、磯野家を継ぐ子孫がいなくなってしまう。これは大きな問題だ。
磯野家の人口ピラミッドは、
- 老年または扶養者 ナミヘイ・フネ・サザエ
- 社会人で収入のある者 マスオ・カツオ・ワカメ
- 未成年 タラヲ
である。
まさに、釣鐘型から壺型に変わろうとしているのだった。
磯野家がこの子孫の問題から解放されるには、今の子どもたちが結婚して子どもを育てなければならない。
磯野家とフグ田家がそれを成し遂げるためには何をすべきなのか。
次は、タラヲに聞いてみよう。
(つづく)