サザエの借金〜未来家族「サザエさん」エピソード0

その日は30年ぶりの大雪が関東平野を襲う極寒の1日だった。

マスオはコートを固く閉じて駅から降りる階段を足の裏側で摩擦を感じながら、滑らないようゆっくりと歩いていた。駅前のコンビニの前を通ると、やっと配送が追いついたのか、通い箱に入った弁当やおにぎりが陳列棚に並べる暇もなくそのまま売られている。

まだ空から綿のような雪がフワフワと落ちて来て、頭と肩の上がすぐに白くなる。コンビニに寄って雪が弱まるのを待つか少し迷ったが今日は給料日だ。早く家に帰って美味しいご飯を食べよう。きっとサザエが温かい夕食をちゃぶ台の上に並べているに違いない…

「お父さん!」

「タラヲ?」

雪が降り続けているのを見かねて息子が迎えに来てくれたらしい。もう息子もいまや就職活動中の大学生だ。息子が手渡してくれたコウモリ傘を手に取り、柄の部分の剥がれかけた白いテープにナミヘイと名前が書かれたのを見ながらまた2人で用心深く歩き出した。

「お義父さんが退職してからもう10年になるなァ…毎日この駅からの道を一緒に歩いたけれどこんなに雪が降ることはなかったなァ」

「30年ぶりだってさ、オレ、生まれてねえし」

息子も立派な口をきくようになったものだ。そんな磯野家…いやフグ田家も今はマスオが一家の大黒柱である。彼の収入が比較的高いのと今もサザエの実家に住んでいるから家賃がなく、家族はみんな豊かな暮らしをしていて、さらにはカツオが3年前から働き出したので一家の暮らしはずっと経済力が強くなっている。

「あのカツオくんが、真面目に働いてくれるなんて思わなかったよォやっぱりお義父さんの息子だよね立派な磯野家の長男だよ」

「オレだってこれから働かなきゃいけないんだなァ〜めんどくせぇ〜」

「もう、決めたのか?」

「いーや。ぜんぜん…お父さんはいいよね、日本を代表するような大財閥グループでエリートだもんなぁ安定した職場で働けてるんだからさあ」

今は景気も良く就職口に困ることはないのだが、息子はどうやら高望みしているらしい。マスオだって、始めから今の大財閥グループで働いたわけじゃない。商社マンから始まり、努力して階段を登ったんだと言いたかった。

まあ、何だかんだ言ってもうちの息子も優秀で頭は良い。昔から話のオチをよく持っていったが、小賢いが故に何か行動を起こす前に先を読み切るクセがある。いや、読み切った気になっているだけ。まあ、それを言い聞かせたところで素直に耳を貸すはずもないとマスオはコウモリ傘を握りしめた。

そうして無言で歩き、いつもの倍以上の時間をかけてようやく家の門の前に着いた。雪がうず高く両端に避けられていて玄関口までの通路が空けられている。

「お前がやってくれたのか?」

「そうだよ。おかげで手にマメができちゃったんだ」

こんな力仕事をいつまで出来るのだろう…とマスオは思った。タラヲが家を出てしまったらもう誰もいない。カツオもまったく結婚する気が無いらしく、子どももいない。磯野家はもはや全員が成人になってしまって、急速に高齢化しているのだった。

「ただいま」

その声は小さい。扉を開けると…誰も出てこない。これも昔とは違う。子どもたちはもうみんな立派な大人だ。そしてお義父さんだが…大丈夫。今も元気だ。

「やあ、マスオくんおかえり」

「あ、お義父さん、サザエは?」

「フネの部屋にいるよ」

フネは、昨年から少し身体の調子が良くない。布団で寝るのは身体に負担がかかるので、和室にベッドを置いてそこで1日のほとんどを暮らしている。介護というほど大変では無いが、体調が優れないのでどうしてもサザエが身の回りの世話をしているのだ。マスオは雨戸が閉じられた暗い廊下を歩いてフネの寝ている部屋へと向かい、部屋の中に聞こえるようにさっきより少し大きな声でサザエただいまと言いながら少し顔が見える程度に襖を開けた。

「あら、あなた。おかえりなさい。夕食は?」

「食べてないよ」

「あら、ごめんなさい。今から作るわ」

「どうしたんだい?」

サザエは少し目で合図をして立ち上がり、

「お母さん、マスオさんが帰って来たから食事を作ってくるわね」

そう言いながら、サザエは後ろ手に襖を開けて後ろ向きに廊下のマスオを背中で押し出しながら部屋を出て、静かに襖を閉めた。手を頭に当てながら台所へと歩いていく歩調がやけに足早である。

「どうしたんだよサザエ?」

「お母さん、少し熱があるみたい…」

「そうなのか…何度か計ったのかい?」

「うん…」

季節の変わり目に体調を崩してから寝込んでしまい、そこへこの大雪である。気温は随分と低くなって古くなった平屋の家は底冷えがするから、さらに身体に負担があるようだ。

『こりゃ晩メシどころじゃないな』

マスオは駅前のコンビニで弁当を買わなかった事を悔やんだ。


「ねえ、あなたちょっと相談があるんだけど」

「なんだい?」

やけに深妙な空気を醸し出してサザエは布団の中で話し出した。もうタラヲは同じ部屋では寝ていない。

その時、外で雪が落ちる音がした。まだ降り続いているようだけど、家の温度で雪が落ちてくれるだけありがたい。もう古い家だから重さに耐えられないんじゃないかとヒヤヒヤしている。

「お義父さんも年金もらってるんだけど、生活費だけで消えてしまうし、この家の修理なんかにお金がかかってしまうの。そこへお母さんが寝込んだものだから…タラヲの学費もずっと私学だったけどマスオさんのおかげでうちにはまだ貯金があるから、家を建て替えようかなと思うんだけど」

マスオは少し悩んだ。

磯野家はナミヘイが退職金で1000兆円、マスオの貯金が845兆円で、合計1845兆円の貯金があった。

それらは全てマスオが勤める銀行の定期預金に預けていた。定期預金はその金額の範囲内で借入として引き出せるようになっている。サザエは銀行から定期預金を担保に借りることで急な出費をまかなってきた。もちろん利息は払わなきゃいけないが…その利息は財閥グループの社員であるマスオの給料の一部になるのだから仕方ない。

サザエが銀行から借りた金額は、すでに1093兆円に膨れ上がっていた。


定期預金1845兆円から銀行借入金1093兆円を差し引いた残り752兆円がまだ残ってる。

誰か他の人から借金しているわけでは無いし、磯野家には東京世田谷区に土地もある。普通なら生活はなんとか維持できそうだし、むしろ恵まれている方だろう。ところが、フグ田家と磯野家の関係では話が少し複雑になる。

サザエは磯野家の長女だ。弟のカツオは働いているとはいえまだ社会に出たばかり。夜遅くまで残業して帰ってくるのはいつも午前さまである。そのために磯野家を支えているのはサザエ、つまりマスオということになってしまう。

サザエの借金は積もりに積もって、もうナミヘイの退職金を全て使い果たしていた。今ではマスオがコツコツ貯めたお金も、磯野家の生活費に使わざるを得ない。

「けど、サザエ。これじゃあボクがいくら稼いでもほとんどお義父さんとお義母さんのために使っちゃうじゃないか、いつになったら返してもらえるんだい?」

「え?」

「だって、フグ田の家と磯野家は違う家だろう?フグ田家として見ればボクはサザエにお金を渡して磯野家の出費をずっと立て替えてきたじゃないか。それがもう1093兆円になってるんだヨ?」

「そのうち1000兆円はお父さんの退職金よ!それにあなた、フグ田家は家賃も要らないでここに住まわせてもらっているわけだから、土地がなくっちゃ暮らせないわけだし。そんな生活費を立て替えていると言っても…。それに、私だって贅沢しているつもりはないわ。お母さんが寝込んでからずっと家計を切り盛りしているのは私よ?」

「それは、分かってるよ…でも、ボクだっていつか貯金してきたお金で自分の家を持ちたいよ。別荘なんかもいいなあ。ずっと働きずめで、いつになったら楽しい思いができるんだヨ」

「あら、マスオさん、私たちと暮らしていて楽しくないとでも言うわけ?」

「イヤァそういうわけじゃァ」

やぶへびである。

ウンガトット

(つづく)