銭形砂絵

観音寺市の和田村というところは、かの大平首相の出身地だそうで、街のいたるところに大平首相ゆかりの施設がありました。

と言っても、どんな人か知らない人も多いでしょうね。私もよく知りませんでした。総理大臣の任期中、つまり現職総理大臣として病気でお亡くなりになっている人なんです。
現職総理の死去はその時48年ぶりで、しかも48年前というのは515事件で暗殺された犬養毅だというのですから、もはや歴史上のお話ですよね。
今年2016年に衆参同日選挙が行われるかもしれないという話があって、結局は参議院選挙だけだったわけですが、過去に衆参同日選挙を行ったのは、この大平首相と中曽根首相の二人だけだというニュースで、大平さんの名前を知っていました。
その観音寺市に行ったのは、この銭形砂絵を見たかったからです。
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わかりますか?お金の形です。

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まるで銭形警部の娘さんみたいな名前ですが、この砂絵はなんと400年近い歴史があるんです!

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実は下調べするまで知らなかったんです…。昭和になって人工的に作ったものだとばっかり…。

けれども、この立て札の説明はオカシイらしい。まず「寛永通宝」という貨幣が作られたのは1636年からだそうで、その3年前にこの砂絵があるのは矛盾するんだって。
しかも、この生駒高俊という領主が高松から巡視に来た記録は無く、しかも同じ1633年に幕府の老中首座の娘を嫁に迎えているのに、男が好きだったというから、その嫁が実父に訴えたり、愚鈍な人物だったので家臣がやりたい放題やって高松藩はお家騒動にまでなったらしい。
そんな領主を領民が歓迎するかな…?
それとも貧しい領民が「お金をくれ」というメッセージかな(笑)
それ以外にも、丸亀城守の京極家の時代に作られたとか、豊臣家のひょうたん紋を塗り替えたとか諸説あるらしい。
つまりは、謎の銭形砂絵です。
ナスカの地上絵と同じで謎なんですねえ。
まあ、たぶん展望台のある小山の上から見て白い砂浜に何か絵を描いてみようってのは誰だって一度は考えることなので、領民の子どもが思い付きでやったんだろうと思うんだけどなぁ。
そんなに深い意味はないような気がする…。
むしろ深い意味が無い方が無邪気で良いなぁ~。
さあ、それで終わりじゃあないですよぉ。この砂絵がどうなっているのか、近くで見たくありませんかぁ?
見たいでしょ?
はいこちら!
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近すぎてよくわかんないですね。

これは横からです。寛永通宝の宝の文字の近くから撮影してます。
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深さは人の身長ぐらいありますので、結構深いです。4年に一度の手入れで済むのは、松林が防風林の代わりをしているからかな。

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意外にエッジの効いた砂絵でした。

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松林を抜けると砂浜に出ます。海水浴場の準備をしていました。遠浅で家族連れにも安心な砂浜だと聞きました。

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この松林の向こう側に砂絵があります。

海からの風に守られているんですね。
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近くの郷土資料館と貨幣博物館ですが、うーん…といった感じ。良い建物なんだけどなぁ~観光資源としては厳しいかぁ

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最後に温泉に入りました。
塩泉です。
海水浴後のひとっ風呂は格別でしょうね~。本格的な夏が来るのを待つ琴引海岸からお伝えしました~。