くるまだんきち日本に帰りゅCEBU#LAST

今から帰国するという最終日はエッセイ風にまとめてみたい。

シャングリラをチェックアウトする前に日が昇る海岸を散歩してみた。早朝にもかかわらず海岸で日の出を見ている人が他にもいた。しかも何やら楽器のようなものを演奏しているようだ。

なんともモノ好きな人もいるものだと、こういう時は決まって自分をかえりみないで他人を批評するクセが出る。日の出を見に来たのは自分も同じモノ好きだ。

空には雲がかかっていてスッキリとはしないけど、朝の雰囲気はとても良い。

もう日本に帰るのだけれど、今回の旅はとても考えさせられる旅路となった。楽器を演奏するほどの腕前は無いので、少し旅のまとめをしてみたいと思う。

フィリピンという国の名前はスペイン国王のフェリペからきているとのことだ。なるほど、最初はスペインの植民地だったからそうなったのだろう。アジアの歴史を振り返ると植民地としての悲しい現実を思い出さざるを得ない。

温暖な気候の中で植物がよく育ち、手軽に食べることができる果実もたくさん採れる。夜に寒さで凍死することもないし、たまに激しく降る雨を避けられるだけの屋根さえあれば、小屋でも生きていくことができる。

それは暮らしやすく快適だという意味ではないけれど、人間が命を永らえるにはとても恵まれた環境だろう。

なのに、どうして暖かい場所から高度な文明が生まれなかったのだろうか?

社会科の授業で習った世界4大文明はエジプト、メソポタミア、ガンジス、黄河だった。どれも共通しているのは赤道直下ではなくもう少し北に上がったところ。日本でいうと南は沖縄、北は仙台ぐらいの緯度にある。

生きていくことだけなら赤道近くの暖かい土地の方が、動植物の果実を得られて、食べていくのに容易な環境であったろうに、ヨーロッパから植民地として蹂躙され搾取されたから発展が遅れたのか、その後の独裁政権にエゴイズムがあったのか、そこがよくわからない。

争わなくても豊富な食べ物を得られる恵まれた環境では、争いが起きにくいのだろう。島国であることが、多民族との衝突を防ぐ効果もあったのだろう。そこには平和な社会があったのかもしれない。

そこへ、ヨーロッパ大陸文化が押し寄せて一気に占領してしまった。特にスペインが大航海時代に地球上の平和な社会を奪い去ってしまった。その後はアメリカとの戦争に巻き込まれ、さらには日本の支配をも受ける。

戦争の後も強いリーダーシップを求めたことから独裁政権が生まれるが、アメリカの傀儡政権だと言われるほどに関係が深い。失脚後の亡命先はハワイだ。

悲しい過去だけれど、それが現実だ。他国のエゴイズムに翻弄されたのだ。

一年中こうやって緑が途切れない環境なら、食べることには心配が無いのだから、自由に使える時間が増えてもっと創造的な活動が文化の発展や経済の成長につながるような気がするのに。

そう考えながら、自分だったらどうするかを考えてみた。

「たぶん、暑くて一日中ボーっとして果物食べてるだろうな」

そう考えると結論が出た。恵まれすぎているのかもしれない。生きていくということに関しては生命の危機を感じないのだ。

問題があるから解決しようとするので、考えることも工夫することもあるが、恵まれている環境下では何もしないだろうなと思ってしまう。

じゃあ、南国に暮らす人たちは怠け者なのか?という話になるが、そうじゃない。朝は2時間も前に出勤している人たちを見たし、朝から学校にも通っている子供達もたくさん見かけた。怠けたい訳じゃ無い。

フィリピンは産油国では無い。資源開発も停滞している。経済成長が他のアジア諸国に比して遅れがちなのも気になる。独裁政権が悪かったのか、内戦が続いた事が邪魔したのか、発展途上国なのだ。

ドゥテルテ大統領が新政権樹立してたった1ヶ月で麻薬犯罪者を400人射殺したと発表したのは記憶に新しい。その影響もあって麻薬密売人などが恐れをなして警察に出頭してきたのだが、その数なんと57万人だったそうだ。人口1億人の国で何という人数が麻薬に手を出していたのだろうかと想像を絶する。

フィリピンは禁煙国である。タバコは原則禁止されているのだ。これもすごい。徹底した風紀取り締まりを行うことでこの国を先進国に発展させようという強い意思を感じる。

人権保護団体はそのような政府の方針を批判するが、麻薬密売人など犯罪者(中毒者では無い!)が出頭しただけでも57万人も存在する社会において、人権保護とは何だというレベルの話だ。中国がアヘンで堕落させられた歴史とかぶる。

未来を信じられる子どもは学問をする意味も理解できるだろう。

勉強しても何の役にも立たぬならやる気は起きぬ。未来につながると信じられるから学習意欲も湧くというものだ。

他国に翻弄される状況から、自国の未来を信じることができる、そんな信頼関係が社会の基礎になることを、子どもたちに教えてあげなければいけない。これはマシュマロ実験から得られる人類への答えだ。

そうして初めて、子どもたちは自分の可能性を信じる事が出来るだろう。

フィリピンの人たちは、そうして世代を重ねて少しづつ自分たちを取り戻しているのだと思う。

大事な事を教わった気がする。ありがとうCEBU。さよなら!