子どもが許されるワケを考えてみた。だから大人は許せない。

ちょっと雪の話題ばかり続くのでつまんない。というわけで、いつもとはまったく違ったお話を。

お台場のレゴランドに行ってきました。子どもたちでいっぱいです。たくさんの次の世代が元気に育っています。それを見ながらふと考えたお話です。

子どもはワガママだったり、簡単で分かりきった失敗をしたり、何をやってるのよと呆れる場面がたくさんありますが、何故そんな時でも許してあげられるのでしょう?

私が子どもの頃。両親が子どもの私に、大好きだったケーキを、自分たちは食べないで私にくれた事がありました。

子どもの頃でしたから嬉しくてペロリと食べてしまいましたが、お腹がいっぱいになってから、ふと母にこう聞いたのです。

「ママ、ケーキは嫌いなの?」

「いいえ、大好きよ」

「じゃあどうして私にくれたの?」

「◯◯ちゃんが食べたいって言うからよ?どうして?」

その時は言えなかったのですが、心の中ではこう思っていました。

『私なら一番大好きなものをを誰かにあげたりしないのにな…』

他人が持っているものでも、欲しいと言えるワガママさ。そしてそれが許されるのです。

それから何十年の時が過ぎ、母親になって初めて私はそのママの気持ちが分かるようになりました。

そして、その理由もわかりました。

ケーキよりも子どもの喜ぶ笑顔が好きなのです。それは比べられないぐらいで、迷いもなく一瞬に答えが出るほど。

ところが、これが大人だとそうはいきません。

世の中には、子どもと同じような大人がたくさんいて、子ども以上にワガママです。ダメだムリだと言いわけばかりしてサボることしか、楽に生きることしか考えていません。

目の前の問題から逃げてばかりで、解決しようとしないのです。

社会に出ている立派な大人が、子どもと同じように、ワガママで、簡単な失敗を繰り返し、呆れるような行動をする…そんな子どものような大人「子どもオトナ」がたくさんいます。

それは誰もが許さない…はず。なのに放置せざるを得ない現実…。
やっていることは子どもと同じなのに、何故子どもは許せるのでしょう?

私が思うには、子どもはいつか成長してそれを理解する時が来ると信じているから、その時点ではまだ許されるのじゃないかなと思います。成長する人となら大人でも付き合えます。

未成年犯罪に更生の考えがあるのも、それと同じなのでしょうね。つまり、子どもだから許されるのではなく、子どもが持っている、

未来を信じて許しているんです。

その逆に、大人になってもまだわからない成長していない人には、「◯カは死ななきゃ治らない」と簡単に切り捨てられますね。成長しない人とは話をしていても言い訳ばかりで何も進まない。つまり未来が信じられないから、なんですね。


レゴランドという子どもの国への入り口で、隣の蝋人形館を少しだけ垣間見ることができます。

この人形…あの事件の後だけになんともシュール…。

レゴランドと蝋人形館を区切る立入禁止のロープは、子どもと大人の境界線のようでした。もう成長する気もない「子どもオトナ」が、社会の成長をも妨害し、どんどん腐らせていくわけです。

子どもの論理をふりかざし、自分の立場だけを守ろうとする大人を、どうすれば退治出来るのかな?

そんな「子どもオトナ」が腐って朽ちるのを待つしかないのかな…。

そんなの待ってたら、そのうち

次の世代が腐ってしまうよ!

HYMER.LIFEは旅をしながら、日常とは離れたゆったりとした時間の中で、自分が子どもの頃に体験した出来事を思い出し、それが親から教わった親としての使命へと変わっていきました。