徳川美術館

えーっと、いま名古屋です。

少しばかり待ち時間がありまして、その間に何か時間つぶしになることは無いかと地図を見ていると、なにやら素敵そうな名前の施設がありました。それが徳川美術館(と日本庭園)です。

あまりに唐突に旅のお話が始まりましたが、いま、名古屋にいる理由はまたのちほど。

尾張徳川家が幕末まで続いたことは史実として当たり前なのですが、その尾張徳川家が明治維新の際に、幕府側ではなく新政府側に味方したことはみなさんご存知でしょうか?

価値観の変わる激変の時代に生きた権力者たちが数奇な運命を辿ったのは想像に難く無いのですが、同じ兄弟同士で敵味方に別れて戦うことになるのはなんともしのびないのでした。

今は平和で良かったなあ…とつくづく思います。

徳川美術館の館内は写真撮影禁止だったので、残念ながら写真はありません。けれど、とても綺麗で新しい美術館でした。能の舞台や書院造などが再現されていて、とても興味深かったです。

とくに、嫁入り道具として櫛が展示されていましたが、その目の細かいこと。当時の技術であの歯の細かい櫛をどうやって作るのだろう?と疑問に思いました。


徳川美術館の隣には日本庭園があって、その紅葉も美しく色づいていました。

人工的な滝なのだとは思いますが、とても綺麗に整備された庭園でした。

ここは、昔の名古屋城の東の端にあった別邸のようで、城下町が広範囲に整備されていたことを伺い知ることができます。

今は禁断症状の旅の途中ですので、HYMERくんではなく乗用車で来ました。なので、駐車場は北側の駐車場に停めることができました。大型駐車場は南駐車場が使えると書いてありました。北側にも大型用のスペースがありましたがその日は閉鎖されていました。

大曽根口から入場して池の広がる景色をパチリ

 

人工池だとは思いますが。都会の真ん中に素晴らしい眺めです。

南の方へ進んで、美術館へと近づいていくと小高い丘が広がっていて、

高低差を利用した滝が作られていました。

この滝は、東京から発掘された遺構を掘り出して復活させたんだそうです。

当時の尾張徳川家下屋敷跡が今は早稲田大学になっていて、その敷地内からこの滝が出土。龍門の瀧という名前だそうです。それを名古屋市に移動させてここに復元したのだとか。

やることが豪快ですねえ。

丘と滝を結ぶ橋。ここから戻っていけば駐車場に帰るわけですが、その前に徳川美術館に立ち寄ったというわけです。

もちろん館内は撮影できませんでしたが、ひとつだけ。

とても気になる寄付者のお名前を発見しました。ジュディオングさんが寄付されてるんですね。

どういう関係なんだろう???

帰り道にもまた紅葉を楽しみながら帰路へとつきます。

さて、この名古屋に来た理由とは?

そのお話はのちの講釈で。